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March 2018

2018.03.31

Apple Watch 3ヶ月

Apple Watchを3ヶ月ほど使った時点でのレビューを。

相変わらず満足度は高くて、楽しく使っている。

Img_3336最近便利だ(けど今ひとつなところもあり)と思っているのはIFTTTのボタン機能。
iPhoneでは位置情報に連動させて帰宅時間のログをとったりしてたが、完全自動ではなくボタンをトリガにして何かの動作をさせることができる。
ボタンはiPhoneだとウィジェットにIFTTTを追加するとそこで押せるが、WatchだとIFTTTアプリにするとボタンが表示され、デジタルクラウンで目的のボタンを選んで画面を押せば良い。
何かの記録をGoogle SpreadSheetやEvernoteに日付とともに追記していったりすることもできるし、位置情報とともにLINEの指定したグループに送信することもできる。

帰宅するときにこれを押して現在位置とともに家に知らせるなどに使える。
自作の「大人飲み支援LINE bot」に連動するようにしたかったのだが、IFTTTがLINEにメッセージを送信する際には(1)グループにしか送信できない(2)送信者はIFTTTになる、という制約があって、今のところLINE botの開発者アカウントではグループに参加できないみたいで、うまく行かない。

Img_3335対応アプリが少ないと書いていたが、最近見つけた中で気に入っているのが電卓。

それほど使うものではないが、腕時計で計算できるのが何か嬉しい。
ただ、これ昔からCASIOのデジタル時計でできてたけど。

ふと今でもあるのだろうか?と思って探してみたらすごいのを見つけてしまった!
このゴールドウォッチ!これは結構マジメに欲しい(笑)

Img_3337最近、Watch OSが4.3になって、(昔はできてたらしいが)iPhoneの音楽再生に対応して、さらに便利になった!

荒野の用心棒

荒野の、夕陽の、関係の作品は有名なのはだいたいみていたつもりだったが、これをみてなかった!
オリジナルの用心棒(これは何度もみてる)をみてから、比較のためにみてみて気づいた。

特に最後の決戦のシーンは音楽や演出がかっこよすぎる。もちろん今からみるともう使い古されたものばかりだけど、当時としてはすごかったのだろうと思う。

そして…これを初見と気づいた一番の理由は、あのバック・トゥー・ザ・フューチャー3のあれは本作のパロディだったことが数十年経ってようやくわかったこと!
IMDbのtriviaによると、2でもこの映画が登場していたとか、細かいな。

2018.03.11

「東芝の悲劇」

野次馬的な立場と、他人事とは言い切れない今の業務の立場からとで読んだ。

ここまで歴代の社長のことを悪く書けるのもすごいし、それを裏付ける証言があるのもすごい。
別に読んだ本での分析でもあったが、役員まで出世する人間というのは仕事もできて人望もある(ごく一部に対してであることも多いが)ことが基本であるはず。おそらくこれらの歴代社長もその基本スペックは満たしていたのではないだろうか?

なのにこういうことになる、というのは「仕事ができる」ということの定義がおかしいのだと思う。上からみて仕事ができると思われるのは、要するに上に対しての気遣いができるということで、成果だってたまたま環境がよくてあげられたことも多いのだろう。
印象や成果だけをみるのではなく、実際にどういう資質を持ち、どのように仕事を進めてきたのか、ということまで踏み込んで評価しなければ、責任が伴う立場につけてはいけないのだと思う。東芝に限らず、そんなことばかり…。

本筋から外れるけど、2点、なんじゃこりゃという記述があった。こんなことが書いてあると他の部分も信憑性が吹っ飛んでしまうのだけど。

アラン・ケイ研究員が七〇年代に書いた「パーソナル・ダイナミック・メディア」という論文に「個人が持ち運べる電子文房具が登場する」とあったのを思い出し、据え置き型のデスクトップではなく、個人が持ち運びできるパソコンを開発しようと思い立った。後に溝口はダイナミックとブックをかけあわせて自社製品を「ダイナブック」と名付けることになる。
いや、こちらの方が正しいとするとビックリ。当時あのダイナブックの名を使うのはどうか?と散々批判されてたはず。
当時は五インチのフロッピーディスクが一般的だったなかで、あえて三・五インチのフロッピーディスク・ドライブ(FDD)を採用している。
いやいや、Macが3.5インチ使ってたからでしょう。

2018.03.04

セッション

最後まで緊迫感がすごかった。思わず2回みてしまった。

以下、ネタバレあり。

ラスト近く、フレッチャーの策略で自分の知らない曲を演奏できず、ステージを降りるアンドリュー。バックステージで父にハグされ、「帰ろう」と言われた後、アンドリューが本当の狂気へと落ちる瞬間がよい。

それまでも、フレッチャーに追い込まれるまま、何もかも捨ててドラムに打ち込む姿は狂気じみていたが、フレッチャーからしてみれば、まだ足りなかったということか。

10分間続く演奏シーン、アンドリューの狂気のドラムソロにフレッチャーも惹きこまれて行く、ストーリーとしてこの後どうなるのかなんて放置されたまま、カタルシスの頂点で唐突に訪れるラスト。

素晴らしかった。

もちろん、倫理的には納得いかないことだらけになるのだが、一方で、こんな狂気じみたことが可能にすることもあることも確かなのだとも思う。そうやって産み出されたであろう作品を享受してしまう立場として、これをただ倫理的な観点で否定するのは難しい。

芸術と狂気を描いた作品として「赤い靴」なんかを思い出した。

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